伊平屋島で育った「てるしの牛」のゴロっとした肉が入った、デミグラスソースのビーフカレー
2024年の秋、伊平屋島の新しい特産品として「てるしの牛カレー」が誕生しました。このカレーの最大の特徴は、伊平屋島で大切に育てられた「てるしの牛」の肉を贅沢に使用している点にあります。特に、一般的には流通が限られることもある「経産牛(仔牛を産む役割を終えた母牛)」を、生産者である武井さんが自らの手で再度丁寧に肥育し、その持ち味を最大限に引き出したお肉を使用しているのが大きなポイントです。
レトルトパウチを開けると、まず目に飛び込んでくるのは大きめにカットされたお肉の塊です。一口食べた瞬間に口いっぱいに広がる旨みと、しっかりとしたお肉の存在感を楽しめるよう、贅沢な分量で配合されています。これは「食べた方に満足してほしい」という武井さんの強い想いから生まれたこだわりです。
味わいについても、幅広い世代の方が家庭で楽しめるよう工夫が凝らされています。武井さんは商品開発にあたって、「最近は、辛いカレーが流行っていますが、たくさんの方々に食べてもらいたいので、辛いのが苦手な方でも大丈夫なよう、辛さは控えめにしました」と語っています。また、ソースのベースについても「ゴロっとした肉感を味わって欲しいので、日本のいわゆる黄色いカレーじゃなく、デミグラスソースのビーフカレーのような感じにしました」との言葉通り、コク深く、日本人に馴染みのあるまろやかでリッチな味わいに仕上げられています。外部企業の協力も得ながら試行錯誤を重ねて完成したこのカレーは、島内だけでなく、島外の多くの方々へ伊平屋の美味しさを届ける一皿となっています。
伊平屋島は、周囲を美しい海に囲まれた静かな島ですが、実は古くから肉用牛の繁殖が非常に盛んな地域です。この島で良質な牛が育つのには、伊平屋島ならではの恵まれた環境と、産業の特性が深く関わっています。
その大きな要因の一つが、伊平屋島が沖縄県内でも数少ない「米どころ」であるという点です。島では二期作が行われており、一期作目には食用米、二期作目には泡盛の原料となる酒米が作られています。この稲作の過程で生まれる豊富な「稲藁(いなわら)」が、牛たちの重要な飼料となっています。通常、多くの畜産現場では外国産の飼料を輸入することに頼っていますが、伊平屋島では地域の中で循環する新鮮な稲藁をふんだんに活用できるのです。
米どころ伊平屋島の稲藁を食べて育つ健康な牛たち
この稲藁を食べることは、牛の健康管理において非常に重要な役割を果たしています。稲藁を摂取することで牛の消化器官の調子が整い、決まった量の餌を毎日しっかりと食べられるようになります。武井さんは稲藁の効果について、「牛が稲藁を食べることで、良い菌が住み付きやすい構造になります。腸内環境を良い菌が整えてくれます」と説明しています。納豆菌のような良質な菌が体内で活性化することで、結果として牛が健康に育ち、それがお肉の美味しさや肉質の向上に直結しているのです。島の農業と畜産業が手を取り合い、地域資源を無駄なく活かす仕組みが、伊平屋島独自の高品質な牛を育んでいます。
「てるしの牛」を育てる武井圭介さんは、もともと長野県からの移住者です。以前は畜産の経験がまったくなかった武井さんですが、「畜産をやりたくて移住してきた」という情熱を胸に、縁もゆかりもない伊平屋島で初めての牛飼いに挑戦しました。現在は母牛20頭、仔牛15〜16頭に加え、カレーの原料となる肥育用の経産牛2頭を丹精込めて飼育しています。
畜産は生き物相手の仕事であり、そこには多くの苦労が伴います。武井さんが日々最も大切にしているのは、牛たちをよく観察し、小さな体調の変化も見逃さないことです。特に沖縄特有の厳しい夏の暑さは、牛にとって大きなストレスとなります。牛は暑さに非常に弱い生き物のため、武井さんは環境改善に知恵を絞ってきました。具体的には、牛舎の屋根に特殊な熱遮断塗料を塗って室温の上昇を抑えたり、牛たちが自由にのびのびと歩き回れる広い放牧場を管理したりと、牛が快適に過ごせる居場所づくりを徹底しています。
また、畜産業界全体を取り巻く厳しい情勢も大きな壁となっています。近年の世界情勢の変化や、それに伴う輸入飼料の高騰により、かつては島内で200頭を超えていた飼育頭数も、現在は170頭程度まで減少してしまいました。しかし、武井さんはこうした状況に屈することなく、島内の未利用資源である稲藁を活用したり、これまで競りに出されることが多かった経産牛を自ら肥育して新しい商品に生まれ変わらせたりと、創意工夫によって活路を見出しています。未経験だからこそ持てる新しい視点と、牛への深い愛情が、困難を乗り越える原動力となっています。
「てるしの牛カレー」の誕生は、単なる新しい商品の発売以上の意味を伊平屋村にもたらしています。海産物やお米といった豊かな名産品を持つ伊平屋島ですが、実はこれまで「肉」に関連した特産品は存在していませんでした。観光に訪れた人々が、島の新しい味覚として手に取れる「伊平屋島産のお肉」という選択肢が、このカレーによって加わったのです。
伊平屋島に新しく加わった「伊平屋島産の肉」という選択肢、「てるしの牛カレー」
武井さんはこの商品を通じて、伊平屋島の畜産業全体の振興を目指しています。武井さんは語ります。「販売できる生肉には限りがあるので、このてるしの牛カレーを通じて、もっと伊平屋島産のお肉を食べてもらい、伊平屋島の畜産を知ってもらえるきっかけになってほしいです」。現在はカレーのほかに、イベントなどでハンバーグの提供も行っていますが、今後は店頭販売の拡大も視野に入れています。
こうした取り組みの先にあるのは、次世代への希望です。飼育頭数が減り、厳しい状況にある島の畜産現場において、武井さんのように新しい価値を生み出し、果敢に挑戦する姿は、将来の担い手にとって大きな刺激となります。武井さんは、自分のような移住者や、島で育つ若い人たちの中から「自分も畜産をやってみたい」と手を挙げてくれる人が出てくるような、明るい未来を望んでいます。一皿のカレーをきっかけに伊平屋島の牛の価値が認められ、地域の基幹産業が再び活気を取り戻すこと。それが「てるしの牛カレー」が伊平屋村に対して果たす、最大の貢献なのです。伊平屋を訪れた際は、ぜひこの情熱と島の恵みが詰まった一杯を味わってみてください。